小説『ミーナの行進』の舞台〜新神戸・芦屋・須磨を歩く〜

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イントロダクション

小川洋子さんの小説『ミーナの行進』は、1970年代前半の芦屋を舞台にした、登場人物がとびきり魅力的な小説です。

ミーナの本名は美奈子。ドイツ人のお祖母さんや住み込みのお手伝いさん、そして両親と共に芦屋のお屋敷で暮らしている小学6年生。深い栗色の髪の毛をなびかせハッとするほど肌の透き通った美少女なのですが、身体が弱いため行動の自由が少なく、唯一自由に飛び回れる本の世界をこよなく愛しています。


『ミーナの行進』
小川洋子/著(中公文庫)

この作品を私が知ったきっかけは、普段あまり小説は読まないマスター(補足すると、本は常に読んでいますがノンフィクションが多い)が大切そうに毎日少しずつ読み進めていることに興味を覚えて聞いてみたのがきっかけ。その答えがこちら。

「小川洋子さんは以前から優れた書き手ということは知っていたけど、この作品に関して言えば主人公のミーナや従姉妹の朋子、そして周りの大人たちがみんな愛らしい人ばかり。しかも舞台が昭和40年後半の阪神地区で親しみもある上に、庭でカバを飼っていてその背中に乗って登校するとか、自宅に六甲山ホテルのシェフが出張してきて料理を作るとか、浮世離れしたところも含め、毎晩ミーナに会うのが楽しみでゆっくり読んでる。」

そう聞くと、興味を持たずにはいられません。寺田順三さんの色彩豊かな装画にも惹かれ、手に取るとすぐにその世界に引き込まれていきました。


どんなに高価な彫刻よりも、陶器よりも、芦屋の家では本が大事にされた。思い立った時すぐに本に手が届くよう、あらゆる部屋に本棚があり、子供でも自由に大人の本を取り出せた。ドイツ語の薬学の専門書と、ミーナの絵本と、米田さんの『主婦の友』の付録が、分け隔てなく平等に扱われた。

『ミーナの行進』P82  小川洋子・著(中公文庫)より



ミーナが読みかけの本をテーブルに伏せたままにしていても、普段は片付けに厳しいお手伝いの米田さんは決して勝手に片付けることはしないのです。なぜならページの反対側にはまだ見ぬ世界が隠されているので、ミーナが迷子にならないように無闇に触れてはならないと心得ていたから、と書かれています。本を読む時間の尊さを表現している、印象深いシーンだと思います。

自宅の本棚にある小川洋子作品
これからも大切に揃えていきたい

舞台その1 新神戸駅

この作品の語り手でもある朋子は岡山で育った中学1年生。家庭の事情で芦屋の伯母宅に1年間預けられることになり、ひとり降り立った駅が新神戸。迎えに来てくれたのは、春のような光が射す栗色ヘアのハンサムな伯父さん。メルセデスベンツのボンネットにもたれて立っていたのがこの駅です。

新神戸駅のホームに立っていると
布引の滝から水音が聴こえる

ミュンヘンオリンピックが開催された1972年は、ちょうど山陽新幹線の新大阪ー岡山間が開通した年。山がすぐ後ろまで迫るロケーションは、新幹線が神戸の市街地を避け、六甲山の麓をトンネルで通過していることを意味しています。

六甲トンネルと神戸トンネルの
わずかな間に作られた新神戸駅ホーム

舞台その2 芦屋

先ほどの新神戸駅から車で東へ約30分。阪急芦屋川の北西、芦屋川の支流高座川に沿って山に登ったあたりに、ミーナの住む洋館があったとされています。周囲は木々の緑があふれ、小鳥のさえずりが聞こえ、やっとすれ違えるほどの急な坂道を伯父さんのベンツが悠然と登っていくシーンに思いを馳せます。

南北に流れる芦屋川
山手へ進むほど大きな邸宅が立ち並ぶ
芦屋川のほとりには
カラフルな紫陽花とお地蔵さま
近くには谷崎潤一郎『細雪』文学碑もある
スパニッシュ様式の美しい洋館
後ろ姿はミーナとコビトカバのポチ子

次に向かった先がJR芦屋駅から徒歩5分の「ビゴの店」芦屋本店。文中には「国道沿いにあるフランスの職人さんのお店、ベーカリーB」と記載されています。フィリップ・ビゴ氏は1965年に来日以来、日本におけるフランスパンの普及に貢献した第一人者です。ユニークな関西弁でメディアにもよく登場されましたが、2018年に他界。ミーナの家ではビゴさんのパンを配達してもらっていましたが、たまにイースト菌が手に入ると米田さんと共にパン作り。楽しげに生地をこねて丸めて焼き上がりを待つ様子が描かれています(焼きたてパンの香りはこの世でもっとも好きです)。

JR芦屋駅近くの業平橋より
カトリック芦屋教会の尖塔が見える

これ以外にも、朋子がミーナの代理で何度も本を借りに出かけた芦屋市立図書館(ここで白いトックリセーターの司書さんに淡い恋心)、阪急芦屋川駅前の山手商店街、クレープシュゼットが有名な阪神芦屋駅すぐ近くにあるAという名の洋菓子屋さん、そしてミーナが喘息で時々入院する神戸の甲南病院など、阪神間の実在の場所が次々と登場します。

舞台その3 須磨海岸

そして最後にご紹介するのは、三世代家族が揃ってお出かけする場所として描かれた須磨海岸。普段はスイスに留学している長男の龍一さん(とてもハンサムでみんなの憧れの的!)の運転する銀色のジャガーに乗り込んだ朋子とミーナは、須磨行きのドライブを心から楽しみます。付き添いの大人たち4人と共に砂浜に座って眺めた景色は、それぞれにとって生涯忘れられないものになりました。なぜなら、このメンバーが揃うことはもうこの先一度もなかったのですから。

須磨海岸
前方に見えるのは
淡路島と明石海峡大橋



帰り際に海の家で皆で食べたかき氷。ローザお祖母さんがイチゴ、お母さんがみぞれ、お父さんと龍一さんがメロン、米田さんは練乳。そしてミーナがパイナップルで、朋子はブドウ。そのカラフルな情景が楽しい夏休みの儚さをより際立たせているように思います。その後、朋子やミーナがどのような大人になっていくのか。なぜ『ミーナの行進』というタイトルがついたのか。興味を持たれた方はぜひ本を手に取ってみてください。


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『ミーナの行進』
(中公文庫)2009年
ホコトオンラインショップでも販売中
https://shop.hocoto.jp/
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